3 水下にたゆたう銃撃







 何のために生きてるの?
 ああ 意味があるのなら 
 そうよ 呼ばれたの だから私はいらえたのだわ 
 大きな 大きな マルの中から 呼ばれたから出てきたんです
 静寂のなかに 流れるこえをきいていたの
 はるかなひろがりなか 
 求めているのをきいたから
 まよいの唄をきいたから
 走れるあしに かいなとゆび みんなみんな 生まれてきたの
 何のために生きてるの?
 ああ 意味があるのなら
 この胸にあふれる たくさんの唄を
 唄ってきかせて かいなでつつんで ささやいてあげること
 すりつぶして ぜんぶぜんぶあげる
 かみくだいて あたまから余すことなく
 すすって たべて のみこんで 
 そうしたらすべてが完全なモノになれるから

 私を生んだありうることのない必然
 私をかたちづくる 私をおくりだした 世界の
 だから ここにいる

          *

 その日、能天使の船の中は大騒ぎだった。
 史上初の衝撃的ゴシップが飛び交ったからだ。
 能天使達が待機する部屋に飛び込んできた二人の男は、どちらも肩を上下させ、意気込みながら、自分でも信じがたいがゆえにどもりながら叫んだ。
「ミカエル様に女が出来た――――ッ!」
「寝言は寝てから言え」
「ぃいやマジマジマジ! 俺ら見たんだって! 集会所で一緒に並んで歩ってたり手ェ繋いでタラップ渡ったりしてたんだよ!!」
「オレなんかな、ヘッドが楽しそうに女のアタマ優しくこづいてるのを見たんだぞ!」
「なんだそりゃ!?」
「おい、フカシこいてんじゃねえだろな?」
「ナイナイナイ、混じりっけ無しのマジ話だっつの!」
「な、なん、なん……!?」
「そのヘッドの女? か? どんなんだった?」
「遠目にしか見てないけど結構上モノだぜ、アレ」
「金髪でなァ、線のほそーい美女って感じだ」
 彼ら目撃者の周りの天使たちは最も聞きたいことを口にする。
「身長は!?」
 揃えて。
『だいぶ低かった!』
『うっしゃぁ!』
「見に行こーぜ見に行こうぜ」
「バカ、殺されるぞ」
「ダイジョブだよなんかテキトーに理由でもつけておきゃあ」
「お前見たくないのかよ、ミカエル様のオンナだぜ!?」
「しかも女の前でのいつもと違う頭が見られるかもしれないんだぞ!?」
「……あ〜〜!! 見たいに決まってんだろ畜生、行くぞ」
「おうっ!」
 いつだって野次馬は元気なものである。


 久しぶりに、ミカエルは国境の警備に参加する気になった。たまには動かさなければ体がなまる。メルカバの改造も思った通りにいって調子がよい。
 そこで問題になるのが預かり物≠セ。観察下にあるルシアを建前上は連れなければならない。が、当局にさえバレさえなければ置いていっても特に支障はない。連れて行ったら色々と鬱陶しいことになるだろうとわかりきってはいる。
 しかしとりあえず本人に行くかどうか訊ねてみたところ、ルシアは歓声をあげて行きたいと答えた。バービエルのところとミカエルの私邸との往復したことの記憶しかない彼女にとって、他の場所に行けることはどこであれ、嬉しかったのだろう。
 というわけで、連れて来てやった。国境の警備は大体が悪魔との戦いでそれに参加させるつもりではないのだが万が一何かあったときのために対処できるように、色々と機能のついた戦闘服を与えて着るように言いつけた。言われた通りに着用したルシアにそれは少し大きく、要所、らしくベルトで留めている。 その黒い衣装、あげた髪――全体を二つに分けて蝶々結び、それから余った分を中に結いこむという器用なことを目の前でしてみせた――は、それなりに士官候補生のように見えるが、 彼女の醸すふわふわでボケッとした雰囲気が如何ともしがたくふつりあいでもある。
 本隊と合流するのに云った能天使の本拠地で二人でいるところを諸天使に見られた。ミカエルの預かり物≠ノついての情報は一応副官カマエルにはいっていたが、そのほかはまったく知らない。知る必要がないからだ。ゆえに能天使達にゴシップが蔓延することになった。それだけといえば、それだけのことであるのだが。
 彼らには少し、誤解がある。ミカエルがタラップにてルシアと手を繋いでいたのは、先にメルカバ降りるときタラップと船の間が広いせいで強風が吹いた瞬間足をとられて転んで落ちそうになっていたからだ。いちいちそのたびに助けるよりははじめから手を貸しておいたほうが面倒がない。
 頭をこづいていたのは、ルシアが不用意に『今日はミカエルさまいつもより背丈がお高いですね』などと言ったためだ。そして優しく、というは完全に事実とは異なる。



「境界って、どこにあるんですか?」
 メルカバに乗ってしばらくは、窓からの天界の見慣れぬ大地、雲、青に嬉々として張り付いていた。飽きてからは室内をうろうろしては時折端的に話しかけてくる。歩き回っている分には、目障り、ときっぱりいえるほどでもないが全く目障りでないとも言い切れない。応えたくなければ応えなくてもしつこい追求はないので、正確に表現するならそれほど目障りでもない、と言ったところか。
 操縦席にて足を投げ出して座るミカエルにお茶を運んでくる。どうも、この女は茶を淹れるのが趣味らしく、手持ち無沙汰にしていると必ずと言っていいほど何かの茶を持ってくる。そのことは別にかまわないが、どうもそれに従ってティータイムをとるのが習慣になっている気がする。茶と一緒に甘いものを食べることも増えた。悪くはないが、どことなく微妙な気分である。
「どこっつってもなァ。お前地獄と天界の位置関係はわかってんのか?」
 間があって、答えが発せられる。
「七層で構成されていて、でも今はその下と上が潰れてつながっている、というところまで学びました」
 その説明は不十分である。が、間違いはない。
「だからその潰れてるとこに行くんだよ。一応、境目はつけてあっけどたまに低級悪魔が近くまで来やがるからな」
「……ミカエルさま、もしかしてあんまり、行きたくないんじゃありません?」
 銀の丸いトレイを持ったまま覗き込んでくるルシアのアップに顔をしかめた。紺青の双眸の一つ一つに自分の顔が映っている。瞳の奥は、その映り込みが邪魔で、見えない。
「……なんでだよ」
「いいえ、そんな気がしたので。
 こちらに置いても? ミカエルさまシナモン平気ですか?」
「言っとっけどな、別に俺は悪魔に対しての考えまでは変わってねぇぞ」
「何か変わりそうなことでもあったんですか?」
 空のトレイを胸にあてて、不思議そうにする表情に思い出す。ルシアは第三次天地大戦のことは何も知らない。どこまで教えられたか知らないが、神性界であったことはこの天界にある者では彼しかいない。ウリエルが星幽界から出てこない限り。だから彼女が何を知っているはずもない。本当にそう見えたのを口に出した、というだけのことで。
 アホな彼女に悪気や含みといったものがあるわけがなく。
 ……あの、青い目が悪いのだ。胸中でひとりごちる。
 頭のほうは実際からっぽのくせに、目だけがなんでも知っているような色をして彼を見る。微笑みで彩りきれない、不思議な青色の目。紺青――青ではあるが、瞳の色にしては濃すぎるほどに深い。そして鮮やかだ。真っ直ぐ見られると、時々何もが見透かされる気がする。
「……けっ。余計なこと言うんじゃねーよ」
「ごめんなさい」
 吐き捨てると、肩を縮め、トレイで鼻まで隠して下がった。残された目とまゆは曇らせて。
 八つ当たりだったかもしれない。シートごしにちらっと彼女の後姿を見る。もともと白紙の中に、最近モノを覚えて自意識がしっかりしてきたせいか、口数が多くなってきた。つけて、あのおかしな目だ。調子が狂う。
 視線を前方に戻す。国境まであと2時間くらいか。メーターは正常、自動運転問題なし。
 カップを手に取る。シナモンの香りのするお茶は熱く、吹いてから一口飲む。
「お茶菓子なにか召し上がりますか。シオセンベイという食べ物が、ニホンチャによくあうって聞いたんですけど、シオセンベイもニホンチャも、どんなものだかよくわかりません。おいしいものなら是非ミカエルさまに食べていただき……」
 ドアが開く電子音がして、声が止まる。数人の人の気配。
「何スかこのチビ?」
 肘掛に身をもたせて上半身を後ろに向けると、数人の部下が入り口に立っていた。その中の一人にくびねっこをつかまれて床から十数センチ浮いているルシアは、がっくりうなだれて身動きをしない。


 彼らがミカエルの操縦室に入って初めに見たものは小さな子供の背中。一番前にいた背の高いものが、彼らに気づいて振り返ったところを、何とはなしに首を捕まえて持ち上げる。ソレはひとつ大きく震えて、全身から力が抜けた。
「何スかこのチビ?」
 上官はうるさげに彼らを向く。
「そりゃヒトからの預かりもんだ。あんまいじんな」
 言って、興味なさげにシートに身を戻す。
 子供はぶらん、と男の手の中で脱力している。他に、性別を問わず人といえる姿はない。ミカエルと、手の中のモノだけ。あげた髪から続くうなじや短いズボンから伸びた足の線は女性のものだが、男物の戦闘服を着たそれはロリータが男装しているようにしか見えない。その手の趣味の男ならなかなかそそるものがある容貌かもしれないが、上官にそう言った趣味はなかったと思う。断言は出来ないが。
 しかし、彼らが見たかったのは『こういうもの』ではない。
『おい、話が違うじゃないか!』
 言葉にはださず、目だけで目撃した二人に問い詰める。彼らも慌てて意思表示する。
『し、知らねーよ!』
 彼らが見たのはやはりこのロリータに違いないのだが、遠目に少し見ただけ、しかも髪を上げる前で顔については隠れて見えず、足して近くで見るとだいぶ印象が違う。ずいぶん背が低いとは思ったが
――
「なんか用かよ。つったってねーで言え」
「は、はい」
 と、彼らが用意してきた言い訳を言おうとして、少女から手離した。少女は自分で立つことなく離されるがままに床に崩れた。
 振り返ってそれを見たミカエルが舌打ちをし、席を立つ。
「何しやがったんだよ。そいつに何かあると俺の責任になるんだぜ」
「な、何もしてないッスよ、なあ!?」
 うろたえて後ろの同志に同意を求める。
「ええ、オレらはなんも……」
 再度ミカエルは舌打ちをして、倒れた少女の腹部を軽く蹴る。
「おい、ルシア」
 それが、少女の名前なのだろう。
 反応はない。ミカエルがひっくり返すと、両目はきちんと開かれていた。まばたきをしない。眉間近くの額に、何かの徽が示されていた。 
 一人が呟く。
「《杭打ちステイカー)》……?」
「あー、うぜぇ」
 ミカエルは操縦席のほうに戻って、音声通信機の端末を出して耳に当てる。
 彼らはそれぞれ顔を見合わせるしか出来ない。
「……おう、力天使長代行のバービエルって女出せ。……俺? 俺ァ炎の天使ミカエル様だよ。……あん? 会議中? 知るか。預かりもんが動かなくなったんだっつぇあ出るだろ。早くしろ」
 しばらく無言でいる。 待った時間はそうはかかっていないだろう。秒単位の区切りではなかったが、直して考えたとして何分だかがわからなくなるほどではなかったはずだ。しかしミカエルは待たされることが嫌いだと自認しているように。相手がでたと思しき途端、二言三言毒づいた。
「んで、あの女ゼンマイ式なのか? ……そうだよネジ切れたみてーに止まっちまった……ああ、デコに変な徽が出てる」


『対処法はお預けしたときに渡した書類に書いてあるはずですよ』
「んなもん見てるわきゃねーだろ」
 育成ゲームじゃああるまいし、あんな字だけで数十ページにも渡る説明書など読むわけがない。受け取った次の日には紛失している。
 受信機から嘆息が漏れてくる。音声だけでの会話なのがさぞ残念であることだろう。
『記憶は、衝撃を加えることによって戻ることもある、と、一般的によく言われますでしょう? 私は必要ないと思ったのですが、懸念する声があったので、安全面としての予防策でルナスには精神的、肉体的にショックが与えられるとそれに反応して身体機能が一時停止するシステムが組み込まれているんです』
「つかみあげられただけだぜ?」
 苦笑したようだ。
『それは……おそらく、その方が強面でびっくりしたのでは……ルナスは人見知りもするようですから』
 そのルシアを持ち上げていた男に目をやる。背が高く無骨な外見に、本来眼球が埋まってるべき左の眼窩にはアイセンサーが赤く光っている。 その後ろには目立つほどに傷跡が隆々の筋肉の上そこかしこに残っている者や先天的にそうだろうと思われるひどく釣った目、腕が途中から鉄に変わっている者、という面々が続いている。確かにルシアなら驚いたかもしれない。
 カマエルに先に会わせておけばよかったと内心思う。あれで慣れておけば他の者などとるにたるまい。慣れる前に止まる可能性もあったが、きちんと紹介された形で引き合わされたものに対して怯えたりはしなかろう。
 用件の要点を聞く。
「どうやって動かすんだよ」
『額の徽にアストラル力を送り込んでください。それで解除されるはずですわ』
「わかった」
 通信を切って、ルシアの横にしゃがむ。言われたとおりに額に手をあて、アストラル力を送る。
 始めて二、三秒でまばたきをし、いつもそうしたらいいと思うほどの速さで音もなく起き上がり四つんばいで這ってミカエルの後ろに隠れた。
 息を吐き、吸う。叫ぶ。
「ッキャアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
 腹のそこから上げる悲鳴。その場の全員が耳を押さえた。
「……はぁ、」
「……何やってんだお前」
 間近にいたおかげで、一番の被害に遭ってキンキンする耳を押さえながら、背中にしがみつかれているため首だけで彼女を向いて、ミカエル。
「はい、悲鳴を上げる間もなく体が止まりましたので、とりあえず改めて悲鳴をあげました」
 馬鹿だ。

 そうしたかったというよりは『こういうときはそうしなければならない』という意識でやっているようだったが。
 彼の背に隠れながらきゅっとおびえた目つきを揺らす。
 視線の先
――隊の部下たち。……何の用だか未だに言わない。ルシアがまだ背を離そうとしないので、しゃがんだまま見上げる。
「で、お前らは何しに来たんだ」
 数秒どよめいた。睨むとようやっと、一人が恐る恐る口を開いた。
「隊に見慣れない
――たぶんそのチビ――を奴見かけたって奴がいたんで、新しく入ってきた奴 がどこの配属になるのかなと、訊きに来たんです、けど」
「コレかぁ? おい、いい加減離れろ。
 さっき言ったろ、預かりもん。配属なんかねーよ。暇つぶしについてきただけだ。
 お前戦うのか? ……離せっつってんだよ」
 後ろのルシアは渋々ミカエルの背をつかんでいた両手を離す。彼が立ち上がるのを追いかけるようにして彼女もまた立ち、せせこましく背に隠れようとする。
 腕をつかんで彼らの目の前に出してやると、引きつった顔で彼らを見て、情けなくミカエルの手を握った。関節が白くなるほど力を込めているようだが大して痛くはないので放って置く。
 これと暮らすようになってからいくらか経つ中、気が付いたことがある。彼女の顔は、いつも笑んでいるように出来ているらしい。その笑みが消えているときは、感情が著しく負の方へ向いたときだ。ボリュームたっぷりのケーキを、運んでくる際につまづいて転んだ瞬間は、もういくらかひどい顔をしていた。
「戦い、方は、一応、体を動かす練習程度には、習い、ました、はい」
「ああ、お前こいつら一度ぶちのめしてたもんなァ。てめえら覚えてるだろ? こいつ」
「え……」
「あっ、やだミカエルさま、これやるの大変だったんですよォ」
 ルシアの髪を留めていた金具をはずし、まさぐっておろさせる。非難の声があがるが、無視。数秒と立たないうちに彼女の長い金髪は先を床にすべらせて。
「あー、この女!」
「きゃぁ」
 声をあげる男の一人。ルシアは肩をすくめて、ザンバラの髪をてぐしでまとめながらミカエルの背にまわる。
「この女、前に境界んトコで頭にのされてた!?」
「その前にテメーらがのされてたけどな。その女だよ」
 だんだん理解の色が広がっていく。不可思議な視線は好奇を含み始め、口元には笑みが浮かぶ。
「あーあーあー、アレか! へぇぇ。
 ほんで、なんで頭がこれ連れてんスか?」
 説明するのは面倒くさい。そんなことはカマエルにでも聞けばいいのだ。
 コンマゼロ一秒迷って、やはりやめた。
「あーもーいいからでてけ。用は済んだろ。
 てめぇも一回勝ってる相手にビビッてんじゃねぇっつーの」
 平手で頭をはたくと、形容しがたい声でうめいた。

「私そのときの記憶ありません……」
「あ、じゃあ」
 いいことを思いついた、と言わんばかりの高いトーンで。
「本人に聞くんで、そのコ貸してもらっていいですかね?」
 外的な反応はなかったが、目元の影が濃くなった気がする。ミカエルを見る目が訴えていたが。
「……いいぜ。連れてけよ」
 訴えは却下した。特に深い意図があったわけではないが。
「あ、じゃ、どーもです。境界に着くまでには返しますんで」 
 アゴで行くように命じると、観念したようでおとなしく従って行った。背の高い彼らに囲まれていく様はなんだか送検される犯罪者と監視人めいていた。
 シャットされ、操縦室に一人。
 席に戻る。前方は永い間に見飽きた青と白のパノラマ。
 茶はすっかり冷めていた。
 


 ルナス・ルシア。
 名を問われればそう答えるようにしている。実際、どちらの名で呼ばれても同じように返事をする。ルナスと呼ぶものも、ルシアと呼ぶものも数は半々。どちらかが圧倒的に多いのであれば片方だけを名乗ったかも知れない。 しかしながらミカエルと大恩あるバービエルとが別の呼び方をするため、やはり両方名乗ることにしただろう。順番に深い意味はない。 発音がしやすいといったささいな理由だ。
 能天使の男たちは、実に気のいい者たちばかりであった。おびえることはない、と愛想よく笑って見せたルシアを連れていくことを頼んだ男を筆頭に、次々と親しく話しかけ名を教えた。彼らに持っていた恐怖心など、驚愕が尾をひいていただけのもの。平静を取り戻せば、一体何が恐ろしかったのか、 わからなくなった。即座にたたずまいを正し、怯えるなどという非礼を正直に詫びた。
 名を問われて、答える。ルナス・ルシア。どのように呼べばいいのかたずねられたが、返しはいつもと同じく。とりあえず、彼らの頭に従ってルシアと呼ばれることになった。
 ミカエルの船から転送機で彼らのメルカバに跳び、一室で事情の詳しい説明を求められて、彼女の把握している範囲で途中にはさまれる質問にも順繰りに細かく話した。おおむね納得して貰い、記憶がない間に攻撃を仕掛けたことを最後に謝する。彼らはあっさりと水に流した。特に大怪我をしたものがいるわけでもないからと。
 彼女の説明が尽きたところで、誰かがカードを持ち出してきた。
「あんた、カードゲームわかるかい?」
「ええ。『クラミング』なら少し自信があるわ」
 


 肌を吹きつける強い風。炎の次に慣れ親しんだ、親友ラファエルの司る要素。煽られて、目を閉じる。といっても、目に痛かったからではない。
 目的地も近く、降りる準備は出来て、少しの待ち時間にデッキで風を浴びている。縁の外側に向かって腰かけて、できるだけ全身の力を抜く。何度もやっていることである。この強風の中でも落ちるようなことはない。落ちたとしても羽がある。何の問題もない。
 デッキに上がってくる気配がする。操縦室にいないので悟って探しに来たルシアだろう。来いといった覚えはないが、来るなとも言っていない限り彼女はやってくるモノだ。
「こちらにいらっしゃいましたのね、ミカエルさま」
 予想通りの声。軽やかに小走りで寄ってくる足音。振り向いて確認するまでもない。
 が、ひとつ予想外だったことが起こった。
 ……後ろから思い切り抱きつかれた。
「きゃはっ♡」 
「うわっ!?」
 バランスを崩して縁から滑りそうになる。反射的に体重を後ろに倒す。結果、デッキの床に落ちた。
 落ちてもまったく痛くないのはあたりまえである。後ろに倒れたのだから、ルシアが下にいる。
「いきなり何すんだお前は!?」
 彼女の上から退いて怒鳴る。ひょこりと起き上がった彼女の返事は頬への口付け。
「なっ!?」
「えへへへ♡」
 首を傾げて、笑う。
 おかしい。明らかにおかしい。
 全体的に『緩い』。
 よくみれば、顔がやや赤い。
「お前、酔ってんのか?」
「気持ち悪くないですよールシアは船酔いしませんから」
 額に手を当てて、言い方を変える。
「酒飲まされただろ」
「はいィ♡ お酒飲ませてもらいましたーおいしかったです♡」
 平常にもまして頬のゆるい表情で機嫌よさそうに答えた。
 機体の揺れに、平衡感覚が正常に働いていないらしく体が大きく傾いだ。なぜかひどくそれが不思議なようで、自らバランスをとって転倒を避けようという意識が見えない。
「楽しかったですよォ? あの人たちを怖がったなんて私は愚かでしたね」
 転ぶ寸前で伸ばし受け止めてやった腕の中で、今度は酔っ払い独特の意味不明な笑いをあげる。
 ろくでもないことしやがる、とミカエルは嘆息した。これに飲ませたということは自分たちも飲んだということに違いなく。
 ここまで歩いてきたのだから自力で立てないはずもないのに(もしかしたら何度か転んだかもしれないが)、体重を彼にかけて支えさせる彼女は、普段の柔らかい笑みとはまた別種のいたずらっぽい表情で見上げる。
「うふふ。すばらしいですね、ミカエルさま。愛されていますわね。みなさん、ミカエルさまのこと、大好きですよ。とてもとても。私、嬉しい」
 肩に頭を寄せてくる。
 返答に困る。部下が自分のことを好きだと三者から言われて……何を言えと言うのか。
 流そうかとも思ったのだが、引っかかるところがあった。
「なんでお前が嬉しいんだよ」
「何故これが嬉しくありませんか?」
 空に太陽がある、というのと同じくらい確信的な言いぶりで、ルシアは聞き返してくる。
 そう言われても、部下から好かれることが嬉しいとかそうでないとかいう感情は起こらない。むず痒いだけだ。なんだそりゃ。それが、ルシアになると疑うところなく嬉しがるべきものになるらしい。たまに彼女はこういった自信を持った言い方をする。大体ミカエルには不可解だ。
 コレに限ったことなのか、それとも女というものは全てこうなのか
――どっちにしろよくわからない生き物だ、これは。 
 流した。どうせ酔っ払いのたわごとだ。あとで覚えているかどうかも怪しい。
 力なく腕に寄り添う彼女を突き放す。
 うふふふ、とルシアは笑み、おぼつかない足で身を返し。

   
Amazing grace! how sweet the sound
   That saved a wretch like me!
   I once was lost, but now am found,
   Was blind, but now I see.


 柔らかな悪くない耳当たりの声で、短いフレーズを口にする。続きはかたちのいい鼻腔に響かせる。縁に手をかけて風を正面から受け、留めていた髪をほどく。目を細め、流されていく頭髪を指で促す。
「いい気持ち」
 と、機体が降下し始めた。目的地に着いたのだ。真っ直ぐ下に向かう転換に、ミカエルはよろめきもしなかったが、対応しなかった女は低い縁に体重を預けていた。
 前のめりに落ちた。
「おいッ!?」
 悲鳴も上げない彼女の足をとっさにつかむ。ミカエルもそれほど体重のあるほうではない。ルシアがもうすこし重ければ捕まえたところで一緒に投げだされたかもしれないが
――重力とルシアの体重を支えて、引き上げる。
「……ッ……」
 どこかぶつけでもしたか、引き上げられた彼女は転ぶように床にうずくまる。
「大丈夫か? どこぶつけたんだ、見せてみろ」
「……………………!」
「ルシア?」
 細かく震えている。ひどく痛むらしい。彼の呼びかけに返事が出来ないほど。鼻か肋骨でも折ったかのだろうかと心配したのだが
――
 違った。
 笑っていた。
「あははははははははははははははっ!! ミカエルさま、ひっかかった!」
 ……とりあえず、殴った。
 本気でやったら頭蓋が変形してしまうので、力を込めるのは気が済むぎりぎりまでにしてやったが。
 今度は本当に痛いはずなのだが酒が入っているせいか、殴られたところを手で押さえて笑い続けた。
「てめぇ……まだ笑ってられんだったらもっかいぶっとばすぞ」
 半眼でにらむとそれでもルシアは笑って、床に尻餅をつく格好で空を仰ぐ。大粒の涙がぼろぼろと瞳から溢れ出したのは次の瞬間だった。
「っ!?」
「あ……」
 ルシアは流れ出してから涙の存在に気がついたようで、間抜けた自覚の声を上げて両手で目を覆う。口元は笑みの形はそのままだったが。
 女が涙を流すところを見たのは初めてではないが、いつもへらへら笑っている女が泣くかもしれないと思ったことはなかったという意味で、衝撃が大きかった。
 意味もなく泣くなんてことは彼の経験からもないことで、その泣く理由としては今自分が殴ったからだというのが一番順当で。
 戦いの場では切捨てる者が女であろうと一切気にかけることはないが、こうやって血の匂いも剣の打ち鳴らす音もしない日が当たる風の吹く場所で、目の前、自分のせいで泣かれるのはどうにも、落ち着かない。
「あは……」
「あはじゃねぇよこのバカ。あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜何なんだお前は!」
 なんだか絶望的な気分で彼女の顔を袖で乱暴にぬぐう。うぐ、とうめくがかまわない。
 何度かぬぐったあと、指が肩に触れて静止してきた。泣き止んだのかと手を離すとデッキに上がってきてからずっと変わらない調子の笑顔で、やはりたらっと両目から頬へ新たにすじを作る。
 ミカエルが顔をしかめるのを見て、慌ててうつむき自分でぬぐう。
「ちがうんです、だいじょうぶです。痛くないです。あ、痛かったですけど。ただちょっと、あんまり嬉しかったものだから」
 怪訝に、額を押して顔をあげさせると、すまなそうに涙のにじんだ目じりを下げる。
「ああ、いやだ、泣くつもりなんか、なかったのに。ごめんなさい。お酒が入ってハイになってるみたいです。ミカエルさまは、なにもないですから。ちょっと試してみろって言われて、本当にミカエルさまが」
 自覚しているように、相当あがっているらしい。
「何なんだよ何か言いたいならちゃんとまとめてからにしろよ。何が試しで俺が何だって?」
 ようやく止まってきた目を手首で拭いてあー、の後にうーと口を動かす。
「ええっとですね、能天使の皆さんと、カードで遊びながらお話してたんですね。あんたは頭のことをどう思うかって聞かれて答えたら、じゃあ頭はあんたをどう思ってるか知りたくはないかって言われたのでそうですね、って言ったらこうしたらきっとわかるって言うから試してみたんですけどさっき落ちたのは別にわざとじゃなくて」 
「もーいい」
 話しているうちにまたごちゃごちゃしていたのを黙らせる。大体把握できた。遊ばれたのだ。あいつらもしょうもないことをしやがる。痒くはなかったが首筋を掻き、呆れて言った。
「そこでお前、やったら俺に殴られるって誰かに言われなかったのか?」
「言われましたよ」
 さらりと、ルシア。
「でも、わたしが、知りたかったんです」
 今度は口元を引き締めて、しっかりと、いつものように微笑む。
「満足かよ」
「ええ。いまここで死んでもいいくらいに」
 なんでこんなことで死んでもいいのか理解に苦しむが。
「そいつァ良かったな」
「あ♡ ミカエルさま、あれが境界の地ですか? どこあたりからが地獄になりますの?」
  機敏に立ち上がって再び縁によりかかり下方を示す。降下がいつの間にか止まっている。ということはすでに到着していたのだろう。それにしては隊のほうからの催促が来ないのは不審であるが、それほど重要なことではない。おそらく誰かしら連絡を行っていると誰もが思っているだけのことだ。一応通信機を確認するが、気が付かなかったのではない。
「おい、あんま寄っかかってっとまた落ちっぞ――」
 通信機をしまいながら注意を喚起しようと、声をかけた。
 目を向けた先にはもちろんルシアがいるのだが。
 ふと見た瞬間、それが別人のような気がして、見入る。
 黒服に際立つ白い肌。かすかに赤みさす頬。日に照らされた紺青。紅い唇。風にたなびいてやがて溶けていく月の髪。
 ルシア。
 胸が引きつった。
 何か、不思議な懐かしさが込み上げる。
 経験のない感触。訝って引きつった胸のあたりに手で触れる。おかしなところはない。
「?」
「ミカエルさま? どうかなさいました?」
「いや……なんでもない。それよか俺行くぞ。来るか?」
 おろして置いておいた炎の剣を背負い、翼を広げる。
「いいえ。悪魔との戦い方のわからない私では足手まといにしかならないでしょうから」
「そっか。
 派手に暴れてくっから今日は飯でも作れよ。献立考えてまってろや」
「はい」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でてやると嬉しそうに笑った。
 縁に足をかけて蹴り、空に飛び出す。その後ろから声がかかった。
「いってらっしゃいませ!」
 振り返りはしなかったが、片手をあげた。


 少し時間が並行する。
 紫煙や酒の匂いのする一室でのこと。
「飲んだなぁ……。俺たちより飲んだろ」
「いくつ空けた?」
「オールトレ三、とフィークが五」
「勧められるまんま飲んでたからナァ。見かけによらねーよ」
「しかもちゃんと歩いて帰っただろ」
「スゲ」
「にしてもおもしれーな。いいじゃん、俺は賛成だね。あれなら頭がアツゾコ脱いでも身長や外見のトシつりあってるし」
「馬鹿、頭のアツゾコの話は禁句だろうが」
「落とすと思うか?」
「おー、ありゃ落とすんじゃねーかぁ?」
「俺は思わねー。女嫌いの頭だぜ? だったらもっとさばさばした女のほうが」
「わかってねーな。女が嫌いだからこそああいう女らしいのにころっとイッちまったりするんだよ」
「そう……か?」
「賭けるか」
「じゃ、オレ落ちるほうにこないだ手に入れたばっかのブラックプール」
「マジかよ?」
「俺は落ちないほうにウッドマーク」
「期限どうする期限」
「なんかあの子が頭のところにいるのに期限あったろ、それと同じで」
「曖昧じゃねえ?」
「いいいい」
「おーい、お前らそろそろ降りる準備しろよ」
「うぃーす」


 
 
 




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